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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)15036号 判決

原告 甲野花子

被告 甲野太郎

主文

一  被告は、原告に対し、

1  金六五万円及びこれに対する昭和五七年二月二日から支払いずみまで年五分の割合による金員並びに

2  金二八五万円

をそれぞれ支払え。

二  原告の請求中昭和五八年七月一日以降毎月金一五万円の支払を求める部分の訴を却下する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項1同旨

2  被告は、原告に対し、昭和五六年一二月一日以降原告との別居状態が解消するに至るまでの間、毎月末日限り一か月金一五万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(本案前の申立て)

1 原告の訴を却下する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(本案についての申立て)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

原告と被告とは別居中の夫婦であるところ、両者の間に、昭和五六年四月一六日、被告は原告に対し、別居期間中、原告の生活費として昭和五六年四月以降毎月末日限り一五万円を支払う旨の和解契約(以下、「本件和解契約」という。)が成立した。

よつて、原告は、被告に対し、右和解契約に基づき、昭和五六年一一月までの未払金合計六五万円(同年六月分五万円、同年七、一〇、一一月分各一五万円、同年八、九月分各七万五〇〇〇円の合計額)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年二月二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、並びに昭和五六年一二月一日以降原告と被告の別居状態が解消するまでの間、毎月末日限り一か月一五万円の割合による金員の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

原告と被告とが別居中の夫婦であることは認め、その余の事実は否認する。もつとも、昭和五六年四月一六日、被告が原告に対し毎月一五万円の支払いを申し出たことはあるが、それは原告と被告の間の二児の養育費の支払いについて、法的拘束力を伴わない道義上の申出をしたにすぎない。

三  抗弁

(本案前の抗弁)

原告の本件請求は、実質的には婚姻費用分担請求であり、これは家事審判法九条一項乙類第三号により家事審判事項とされているから、民事訴訟において訴求することはできないものであり、本件訴は不適法として却下されるべきである。また、婚姻費用分担の内容は主として子の養育費であり、被告が二児を引き取つて養育しはじめた昭和五六年一〇月二九日以降の請求は、二児の養育費分を控除した原告自身の生活費分の請求になるが、この請求部分は原告の主張する本件和解契約によつては具体的金額が確定されていないので、その額は、家庭裁判所における調停ないし審判において定められるべきであり、和解契約に基づく請求としては、特定不十分で却下されるべきである。

(本案についての抗弁)

1 錯誤無効

(一) 被告は、本件和解契約締結当時、原告がヤクルトの販売員として働き月約一〇万円の収入を得ていたにもかかわらず、原告と被告の間の二児(春子と一郎)の養育のために原告が働けず収入がないものと誤信していた。

(二) 被告は、原告に対し、右誤信に基づいて、本件和解契約締結の意思表示をした。

2 事情変更による撤回、又は取消し

(一) 本件和解契約は、原告が春子と一郎の二児を養育すること、そのため原告は働くことができず原告自身収入がないことの二点を重要な前提事実として締結されたものである。

(二) 本件和解契約締結後、原告は、ヤクルトの販売員として働き、月約一〇万円の収入を得、自らの生活費を賄えるようになり、また、昭和五六年一〇月二九日から被告が二児を引き取つて養育するに至り、根本的な事情変更があつた。

(三) 被告は、原告に対し、昭和五七年六月二五日、本件口頭弁論期日において、本件和解契約締結の意思表示を撤回し、もしくは取消す旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  本案前の抗弁は争う。

2  本案についての抗弁1の事実は否認する。

3  同2(一)の事実は否認し、同(二)の事実のうち、原告がヤクルトの販売員として働いていたことがあること及び昭和五六年一〇月二九日に被告が二児を引き取つたことは認め、その余は否認ないし争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本案前の抗弁について

身分(婚姻)関係から派生する財産上の請求権と把握できる婚姻費用分担請求権の存否及び範囲を和解の対象とすることに妨げはなく、右請求権に関して和解契約が成立したとしてこれの履行を求める原告の本訴請求は、婚姻費用分担請求権の範囲を合目的的に定める審判作用を求めるものではなく、財産上の契約に基づく給付請求であつて、本件訴が民事訴訟として適法であることは言うまでもない。また、被告は、原告主張の一か月一五万円の金員の内容は主として子の養育費であり、その内の原告自身の生活費分について特定することはできないから、本件訴は不適法である旨主張するが、右一か月一五万円の給付がいかなる趣旨のものであるかは本案の問題であつて、本件和解契約に定める一か月一五万円の支払いを求める原告の本訴請求は特定に欠けるところはないと言うべきである。よつて、本案前の抗弁は理由がない。

二  請求原因(本件和解契約の成立)について

原告と被告が、昭和四七年七月四日に婚姻し、両者の間に、長女春子(昭和四八年六月四日生)と長男一郎(昭和五二年一一月七日生)の二子があること、結婚後、原告は主婦業に専念し、被告は、当初は実父訴外甲野松太郎経営の甲野モートル工業に勤務して給料支払いを受け、昭和五三年三月二四日、右事業を会社組織にした株式会社上野機設工事が設立された後は、同会社の専務取締役に就任したこと、原告・被告は、一時右実父方に同居したが、昭和五〇年八月二日以後は東京都〇〇区〇〇〇丁目〇番〇〇号〇〇マンシヨン〇〇号室に居住して婚姻生活を継続していたこと、原告の従妹(原告の父親の弟の娘)である訴外乙野秋子(昭和三二年一〇月八日生)は、昭和五一年九月ごろから前記〇〇マンシヨンの近くに居住して原告夫婦宅に訪れて夕食を共にするなど親密に交際し、翌五五年一月以後は前記株式会社上野機設工事に就職していたが、その間被告と関係をもつに至つたこと(その時期は被告本人尋問の結果によれば、昭和五五年四月ころであると認められる)、同年九月一二日に右不貞行為が原告に発覚し、その直後に被告は実家である甲野松太郎方に単身転居して原告及び二児と別居状態に入り、同月一四日には原告に対して離婚の申出をするに至つたため、原告は、同月三〇日、東京家庭裁判所に被告を相手方として夫婦関係調整の調停申立をなし、同調停期日は前後四回開かれたが、昭和五六年四月一六日に不調となつたこと、当時は原告が二児を養育していたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第二、第三号証並びに原告本人及び被告本人の各尋問結果によれば、右調停において、被告は一貫して離婚を主張する一方、原告は同居して結婚生活を修復することを主張し、両者の主張が並行線をたどり話し合いがまとまらなかつたこと、昭和五六年四月一六日の最終期日において原告及び同代理人弁護士佐々木秀雄同席の上、被告は、調停委員の勧めに従い、原告に対し、別居状態にあるため、子らの養育費等の婚姻費用(その内訳はしばらく措く。)の分担として毎月一五万円を支払う旨申し出て、原告がこれを承諾したこと、しかし、右合意は、原告と被告の別居を前提とすることから夫婦関係調整の調停の趣旨になじまないために、調停調書は作成されず調停不調として処理されたこと、以上の事実が認められる。また、その後、同年四月二七日に一四万九九〇〇円、同年五月二七日に一四万九六〇〇円、同月六月二九日に九万九九〇〇円、同年八月二六日及び同年一〇月一日に各七万五〇〇〇円が、被告から原告に送金された事実は当事者間に争いがなく、原告本人及び被告本人の各尋問結果によれば、右六月分の送金の前に被告が原告に少額しか送金できないことを電話連絡したこと、同年八月二六日の送金は、その前日に原告代理人弁護士上野進が電話で被告に催促をした結果、なされたものであることが認められる。

以上の事実を総合すれば、昭和五六年四月一六日に毎月一五万円の支払い約束が成立し、これに基づいて被告が右金員の支払いをしたことは明らかであり、前記認定の経緯で原告と被告の結婚生活に亀裂が生じ、その修復のための調停期日において右合意が成立し、その成立によつて調停を不調として両者の話し合いが一旦途絶したと認められること及び、右調停とその後の支払いについて原告代理人として弁護士が関与していることを考え合わせると、右合意は、被告が主張するような道義的な約束にとどまるものではなく、婚姻費用の分担義務の存在とその範囲を定めた和解契約として法的拘束力を有する合意と認めるのが相当である。

次に、本件和解契約に定める給付義務の終期については、「原告と被告の別居状態が解消するに至るまで」という明確な約定の存在を認めるに足りる証拠はなく、かえつて、前記各本人尋問の結果によれば、終期についての話し合いはなされなかつたことが認められる。そこで当事者の意思を合理的に探究すると、本件和解契約は、婚姻中は夫婦双方が負担する婚姻費用の分担義務の範囲を定めたものであること、前記調停不調後も更に両者の婚姻関係について話し合いの必要があることは明らかであることからして、両者の婚姻関係について何らかの解決がなされるまでの相当期間は給付するという合意と解するのが相当であり、前記認定のように当時婚姻関係の継続についての双方の主張が平行線をたどり、したがつて解決までにかなりの時日を要するものと予測されたであろうことを考えると、少くとも本件口頭弁論終結時である昭和五八年七月一日までは、右相当期間に含まれ、給付義務は存続しているものと解するのが相当である。

三  抗弁について

1  抗弁1(錯誤無効)について判断するに、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五六年四月九日から同年九月までヤクルトに勤め、月約七、八万円の収入を得ていたことが認められる。そして、被告本人尋問の結果中には、被告は、当時原告が働いておらず二児の養育のために働けないでいると誤信していたという趣旨の供述があるが、一方、昭和五五年当時被告の役員報酬は手取り月三三万円であつたこと及び本件和解契約当時原告が二児を養育していたことは当事者間に争いがなく、これによれば原告が働いていたものとしても月一五万円の送金は必ずしも不相当に高額なものとは認められないことを考え合わせれば、仮に被告が右誤信に陥り、これに基づいて本件和解契約締結の意思表示をしたものであるとしても、この点は動機の錯誤にとどまるものと認めるべきであり、右の内心の意思が表示されたと認めるに足る証拠がない以上、右錯誤は要素の錯誤に該当しないと解すべきである。よつて抗弁1は理由がない。

2  抗弁2(事情変更による撤回、又は取消し)について判断するに、本件和解契約当時、原告が働いていたことは前記認定のとおりであり、原告が働けないことを前提として本件和解契約が締結されたものと認めることはできず、この点をとらえて事情変更を主張することは理由がない。

次に、前記各本人尋問の結果によれば、本件和解契約においては、原告の生活費と二児の養育費を含めて月一五万円と合意したことが認められる。被告本人尋問の結果中には、月一五万円は全て養育費であり、原告の生活費は全く考慮に入つていない旨の供述があるが、前記甲第二号証記載の被告の別件訴訟における証言中、減額して送金したのは原告の生活費分を控除したものである旨の部分に照らして、前記供述は容易に措信しがたい。しかし、月一五万円の支払いは、金額の内訳けとして二児の養育費と原告の生活費とを個別に特定して算定されたものと認めるに足る証拠はないから、両者の趣旨を含む金額が一括して定められたものと認めるほかはない。従つて、昭和五六年一〇月二九日に被告が二児を引き取つたことは当事者間に争いがないが、これをもつて本件和解契約全体を事情変更を理由に取消す旨の主張は理由がなく、また、それ故の減額も、減額部分の特定が不可能であるから認められず、この点は新たな合意又は家事審判による形成にまつほかはないものと言うべきである。

よつて、抗弁2はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

四  将来請求について

本訴請求のうち、本件口頭弁論終結時である昭和五八年七月一日以降の請求については、弁済期が未到来であり将来請求になるが、前記二認定のとおり、本件和解契約に基づく給付請求の終期は、原告と被告の婚姻関係についての解決がなされるまでの相当期間という、当事者双方の意思に左右される不確定な期限であるから、その間の請求権の成否をあらかじめ明確に予測することは不可能であり、したがつて、将来の給付の訴によつて請求しうる適格を欠くものであつて、右請求にかかる訴は却下を免れない。

五  結語

以上の次第であるから、原告の本訴請求は金六五万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年二月二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに金二八五万円(昭和五六年一二月分から同五八年六月分まで)の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、本件口頭弁論終結時である昭和五八年七月一日以降の請求にかかる訴はこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田宏)

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